ペイントのルーツを見た!(日本ペイント歴史館)

営業日記塗料の話しトピック

平成15年10月3日、日本ペイント(株)大阪本社1Fにあります、歴史館を見学に行ってまいりました。翌日に大塚刷毛(株)主催マルテー際見学とペイントファン倶楽部(日本塗装交流会)の大阪オフ会があるために、前日の訪問となりました。

入り口では汎用塗料マーケティング部の荻島さんに迎えられ、見学には三木さんと森さんにご案内いただきました。この場を借りて御礼申し上げます。 今回の見学の目的は、普段使用している塗料のはじまりから現在に至るまでのルーツを探るべくというものであります。(大げさですが・・m(__)m)

塗料のルーツ

ここでは、日本ペイント歴史館の資料を引用してお話したいと思います。

日本には古くから漆塗りに代表される塗料の歴史はありましたが、洋式塗料の歴史は明治14年、日本ペイントの前身である光明社の設立に始まります。
茂木春太、重次郎兄弟の努力で亜鉛筆の製造から固練りペイントへの試作へと進み、海軍塗工長中川平吉氏の尽力を得て塗料会社が生まれたのです。
明治31年、日本ペイントと改称、我が国の本格的塗料工業が誕生しました。

まず最初に目に付いたのは、光明社コーナー、登録商標の額縁であります。光明社の「槌印」日本ペイントの「日の丸印」が並んでおり、今でも見られる日本ペイントの社章マークは「日の丸印」であります。

大正14年(1925年)5月、皇太子殿下大阪行啓に際し、大阪本社工場をご差遣された。当時、工場を侍従にご視察いただくことは、メーカーにとって最高の光栄とされており、塗料業界では最初のことである。この光栄を永久に記念するため、社章および新商標「日の丸印」を制定した。このデザインは、日本の「日」ならびに日本ペイント「日」を円形とし、極東の日本から、世界への進出の願いをこめたものである。

写真向かって左が光明社「槌印」、右が「日の丸印」現日本ペイント社章

過去の様々な資料の中でもっとも目にしたかった、光明社時代の塗料缶であります。

↑雰囲気出てますでしょ^^

また日本最古と呼ばれる塗り見本。国家事業だと積極的に協力した海軍塗工長・中川平吉氏により明治14年作成。

大阪の空襲の際に、当時勤務されていた方が土の中に埋めて、破損しないですんだようであります。感謝です^^;

この裏にも塗り見本がありましたが、撮影はできませんでした(>_<)

この歴史館の中には、光明社コーナーをはじめ、パブリシティコーナー、総合年表コーナー、ネットワークコーナー、現代コーナーがあります。
特に興味がある部分を除き、撮影よりも見学に力を入れてしまったために、全てをお伝えすることは出来ません。各コーナーダイジェストの撮影をご覧ください。

あとがき

「ペイントのルーツを見た!」という大変大げさなタイトルから始まりました、本レポートでありますが、もう少し噛み砕いてお話しいたしますと、全ては塗装の仕事に対する気持ちの原点を確認する思いであります。
本来私共は、塗料メーカー又は販売店さんから頂く塗料のカタログを頼りに、何不住なく営業ツールとして使ってまいりましたが、自分たちが現場で使う塗料が、どのようにして存在したのか?塗料・塗装って何なのか?全ては身近な疑問から生じたことであります。

歴史館見学の後は、現代的な工場の見学もさせて頂きましたが、当初はすべて塗料は手作りで行われており、ひとつの商品として世に送るのは大変な時間を要したそうです。
もちろんお仕事を頂けるお客様に感謝とともに、この世に塗料を誕生させて下さいました諸先輩、関係者様には深く御礼申し上げたいと思います。
また時間を作って伺いたい場所のひとつであります。

日本ペイント歴史館については、ユーザーの皆様やプロの皆様も一度機会がありましたら、ご見学されることをお勧めいたします。
文字や言葉に出来ない塗装の何かが見つかるかと思います。
また機会がございましたら、他のメーカー様のレポートもさせて頂きます。
日本ペイント歴史館詳細

 

原島塗装店(主な日本ペイント使用塗料一覧)太字は水性
外壁トップ 水性シリコンセラ・水性ファインウレタン・オーデフレッシュF100
1液ファインシリコンセラ・1液ファインウレタン・2液ファインウレタン
ケンエース・オーディパテイオⅡ
外壁下塗り アンダーフィラー弾性エクセル・シルクシーラー圧膜・シルクサーフ
内装 エコフラット70・エコフラット100・インテリアファン(カラモニー)
屋根トップ 水性シリコンベスト・1液ファインシリコンベスト・Siトタンペイント
ファインデュラクールSi(カラモニー)
屋根下塗り 水性シリコンベストシーラー、ファインシリコンベストシーラー

 

 

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